2014年05月27日
増上寺 (東京都港区芝)
東京に行く日が、ちょうど芝の増上寺の徳川家墓所の特別公開と重なっていたため、増上寺に行ってきました。
大門
三解脱門
(ぶらタモリ(TV番組)でここの門に上がって港方面を眺めていました。うらやましいぃぃ)
三解脱門から真っ直ぐ港方面を望む
(江戸時代は海が見えたのでしょうが…)
大殿
徳川家墓所
徳川家墓所門(六代家宣公宝塔前中門を移設(再利用?)したもの)
(特別公開中だった)墓所内
墓所内にあった説明用の看板
大門
三解脱門
(ぶらタモリ(TV番組)でここの門に上がって港方面を眺めていました。うらやましいぃぃ)
三解脱門から真っ直ぐ港方面を望む
(江戸時代は海が見えたのでしょうが…)
大殿
徳川家墓所
徳川家墓所門(六代家宣公宝塔前中門を移設(再利用?)したもの)
(特別公開中だった)墓所内
墓所内にあった説明用の看板
増上寺(と上野の寛永寺)は徳川将軍家の菩提寺。(家康公は増上寺で葬儀を行い、日光東照宮に祀られています)
増上寺には二代将軍秀忠公をはじめとした計6名の将軍、お江の方や皇女和宮などの正室、将軍生母・側室・子女など総計38名が埋葬されています。
これらの墓や霊廟はとても華麗で、戦前は重要文化財に指定されていましたが、昭和20年5月の戦災で焼失。
昭和33年7月から35年1月かけて墓地を一カ所にまとめる改葬の際に、総合的な学術調査が行われています。
東京に行く前に慌てて読み返した本。
著者の鈴木 尚氏は遺体の調査にあたった方で、骨格・歯・毛髪と記録に残る歴史をすり合わせて、かなり興味深い本となっています。
@5,000円以上と高いのが玉に瑕ですが… (^_^;)
こちらの看板を比較すると、いかに昔の増上寺の敷地が広かったかが分かると思います。
看板をみつつ、かなり複雑な心境になったのは、ミカドの肖像を読んでいたからかもしれません。
戦災で焼失してしまった焼け野原からお寺を復興させるのには、敷地の売却は必要不可欠だったのでしょうが…
(高台の良い場所を墓所としたからでしょうが、芝のプリンスホテル2つの立地を見ると、宿泊する気になれない)
伊達政宗の霊廟も戦災で焼失し、当時の細工の復元は不可能と戦災前の写真とともに説明されていたのを思い出しました。
日本の建築物は木造なので、焼失と隣り合わせなのでしょうね。
増上寺には二代将軍秀忠公をはじめとした計6名の将軍、お江の方や皇女和宮などの正室、将軍生母・側室・子女など総計38名が埋葬されています。
これらの墓や霊廟はとても華麗で、戦前は重要文化財に指定されていましたが、昭和20年5月の戦災で焼失。
昭和33年7月から35年1月かけて墓地を一カ所にまとめる改葬の際に、総合的な学術調査が行われています。
東京に行く前に慌てて読み返した本。
著者の鈴木 尚氏は遺体の調査にあたった方で、骨格・歯・毛髪と記録に残る歴史をすり合わせて、かなり興味深い本となっています。
@5,000円以上と高いのが玉に瑕ですが… (^_^;)
こちらの看板を比較すると、いかに昔の増上寺の敷地が広かったかが分かると思います。
看板をみつつ、かなり複雑な心境になったのは、ミカドの肖像を読んでいたからかもしれません。
戦災で焼失してしまった焼け野原からお寺を復興させるのには、敷地の売却は必要不可欠だったのでしょうが…
(高台の良い場所を墓所としたからでしょうが、芝のプリンスホテル2つの立地を見ると、宿泊する気になれない)
伊達政宗の霊廟も戦災で焼失し、当時の細工の復元は不可能と戦災前の写真とともに説明されていたのを思い出しました。
日本の建築物は木造なので、焼失と隣り合わせなのでしょうね。