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2014年10月15日

蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)

3度目の正直。
蝦夷三官寺の筆頭寺院である「等じゅ院」に行ってきました。
(じゅは樹の偏(へん)がさんずい(氵)になっています)

着いたのが夕方で、お寺の前をちょろちょろしていたら、若いお坊さんが気づいてくれて、中を案内してくれました。

お寺本体は平成18年に移築(新築)されたもの。
現在の地に落ち着くまで、自然災害や熊に襲われるなど、4回移築しているのだそうです。

総本山は比叡山延暦寺ですが、江戸幕府が建立したお寺であり、直接の本山が上野の寛永寺。
御維新の際に廃寺になり、仏具等を売ってしのいだのもあり、歴史ある仏具は少なく、貴重な古文書等は郷土資料館に保管してもらっているのだということでした。

移転を繰り返し、建物自体は非常に新しかったのですが、お寺の歴史等とても丁寧に説明していただけました。
観光客相手に非常に丁寧な対応をしてもらえて、とても嬉しかったです。
(その後、まさかの展開にびっくりしたのは、続き以降に(笑))



蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)
外から見た本堂

蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)
本堂の入り口に見える葵の御紋

蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)
本堂の中。この後、ご本尊の観音様の入っている厨子を開けてくださいました。

蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)
中央は薬師如来三尊仏像

蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)
本堂に向かって右側。観世音菩薩は鎌倉時代、弁財天は江戸時代のものだとのこと

蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)
お抹茶と干菓子をちょうだいしました。
抹茶茶碗には葵の御紋が。お寺内に葵の御紋が少ないのでと、ご住職が考案されたデザインなのだそうです。


蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)
歴史ある護摩堂。
梁とか古いモノが使われているのだそう。
移転を繰り返す中で、本堂代わりに使用されたこともあるのだそうです。

蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)
蝦夷三官寺 筆頭寺院 「等じゅ院」 (様似町)
護摩堂の中


写真はもっとアップのもありますが、敢えて引き系のもののみにしてみました。
実物は、是非ともお寺で実際見て、拝んでもらえたらと思います。

伊達の有珠善光寺の記事はこちら
厚岸の国泰寺の記事はこちら


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お寺の話をする前に、戸籍の話などを少し。

戸籍制度が出来たのは、明治5年のことでした。
壬申戸籍と呼ばれるこの最初の戸籍は、貴重な資料ではありますが、戸籍として公開するするには身分事項が記載されすぎており、国が回収して目に付かない場所に保管しており、一般に公開されることはありません。
現在、市区町村に保管されているのは、明治5年式戸籍の様式を変更した明治19年式戸籍から。
この明治19年式戸籍は、今の戸籍と住民票が合わさったようなものなのです。

明治5年に戸籍制度が出来る前は、各地域に1つ、江戸幕府から指定されたお寺(官寺)があって、そのお寺が徳川幕府の命令を受け、今で言う戸籍と住民票の合わさったものを管理していました。

昨今、家系図作りが流行しているようですが、戸籍で追うだけ追っても発行してもらえる戸籍(除籍)は明治19年式のものまで。
それ以前を知ろうとすると、先祖の出身地域の官寺だったお寺に行き、過去帳で追うという方法をとることとなります。

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ここから、お寺での説明されたことについて。

江戸時代も後期になると、ロシアが蝦夷地(北海道)周辺に頻繁に現れるようになりました。
江戸幕府は、伊達、様似、厚岸に3つの官寺を建立し、蝦夷地に住んでいる住民をお寺に登録することにより、北海道が日本の領土であるということを示したのでした。
(お寺では説明されませんでしたが、読んだ本の中にあったように、アイヌ民族を倭人の配下に置くという意味もあったのもあると思います)

それが蝦夷三官寺の建立目的。

官寺は江戸幕府から支払われるお金でお寺の経営を行っていました。
御維新でその収入源が途絶え、また、神仏分離令に基づき、明治時代に吹き荒れた廃仏毀釈。
これらの時代に翻弄され、一旦は廃寺になってしまった等じゅ院。
地域の檀家さんの尽力で、今の等じゅ院があるのだそうです。

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平成18年に移転建立された本堂は、他の2つの官寺に比べると、趣があまりありません。
でも、数々の苦難を乗り越えた等じゅ院。
蝦夷三官寺の筆頭寺院と聞いて訪れたら、ちょっと…となりますが、歴史を背景に今のお寺を見ると、人の心の拠り所としてのお寺のあり方について、しみじみ感じることが出来ると思います。


さてさて…
丁重に説明され、その後、抹茶と干菓子を振る舞われ「ゆっくり見学していってください。写真は自由に撮られてかまいません」とお話しされて、お坊さんは一旦下がられました。
あちこちのぞき込み、写真を撮りお寺の中を堪能し、お賽銭を入れて拝んだ後帰ろうとした私たちは、入り口近くに張りだされた「等じゅ院檀信徒 年忌表」の中に相方のお祖母様の名前を発見!!!
何と、等じゅ院は相方の母方の菩提寺だったのでした。

年忌表をカメラに納めているところに(私たちが帰った頃だろうと思って、本堂を閉めに来た)お坊様とばったり。
うん…この人達何者?って思われても仕方ないシチュエーションだよね。これ…

「ここに書かれている○○ △△さんは夫の祖母なんです」と説明したところ、伯父さんご夫妻がお寺の役員をしていて、熱心にお手伝いしてくれていますと、キラキラした目で説明してくれるお坊様。(帰るに帰られない私たち…)
意外なところで、意外な縁があるものだなぁと、しみじみ感心した私です。


つーか、いくら地元の会館で葬儀したとはいえ、葬儀に来ていたのだから、菩提寺だって普通は気づくだろう相方(呆)



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Posted by さむ at 19:00│Comments(2)趣味
この記事へのコメント
寺の運営に貢献した方の葬儀では、相当遠くても出向いてくださいますよね。お寺さんって。
一方身内は、「バーさんには付き合いのあるお寺があるらしい」程度の認識が精いっぱいかも。。。

ちなみにアイヌ民族と三官寺の関係、厚岸の資料館には、その旨が明文化してあります。
事の良しあしは別にして、歴史資料としてこの資料掲示をやめてもらいたくないな・・・と、思います
Posted by マツダ道路スター at 2014年10月15日 20:12
>マツダ道路スターさま
あれ?昨夜書いたレス消えてる???
酔って誤ったか?

お寺の近くの地区の会館で葬儀したのだそうです。
等じゅ院に最初に行こう(私が蝦夷三官寺を知る前)と言ったのも相方なので、知っていても良かったかと。
興味があり母方の檀家であったのに、知らないのが相方らしくて、なんとも良いですけど(笑)

道の駅巡りがタイトなスケジュール過ぎて、郷土資料館等は行けていません。
毎年、少しずつ時間に余裕をつけてもらって(1日に回る駅数を減らす)、観光等も入れて来ているので、来年以降の課題だなぁということで…
Posted by さむさむ at 2014年10月16日 07:36
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